欠片達の物語 プニートニフパニック 1

 彼女の視線には、二通りの人間が映っていた。逃げ惑う人間と地面に伏している人間。倒れている人間の方が多いだろうか。其処彼処に緑と赤が混じった液体が付着しており鼻を突くような吐き気を催す刺激臭が漂っていた筈だが彼女にはその匂いは感じられなかった。否、最早先刻まで見えていた人の群れも彼女の眼には映ってなどいなかった。
 ーーーあの子はもうこの世には存在していない筈だーーー
 魔獣である。彼女が生まれて初めて『契約』し、家族に殺された筈の魔獣が、倒れ伏していた人間の代わりに地面に大量に横たわっていた。壁に着いた見るに堪えない液体よりも、漂う刺激臭よりも、何よりも彼女の精神を刺激する。
 魔獣の腹が裂ける。中から捩れた紐状の物体と夥しい量の血液が溢れ出て、床に赤い水が溜まっていった。彼女は後ずさるが三歩歩いた所で何かに体が当たり遮られた。
 ーーーさっきおまえは元の場所に戻した筈だーーー
 召喚していない筈の漆黒に覆われた魔獣が彼女の顔を覗いていた。普段なら可愛いと感じる筈の彼が今の彼女にはこの上なく恐ろしかった。理由は判らないが、何故かは判じかねるが。眼に映るもの全てがただただ恐ろしかった。既に液体は目の下の部分に迄達しており、直後に彼女の視界は赤黒く染まっていた。





ーーーKYYYYAAAHHHHHッッ‼︎‼︎!ーーー





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ナイツロード本部 レヴィアタン 居住区屋上

  転落防止の鉄柵と申し訳程度のベンチ。それ以外は無駄にだだっ広いだけの場所。それが居住区の屋上である。ジョニー・ベルベッパーは鉄柵の前に立つと、懐からライターとタバコを取り出し火を付けた。銘柄は「ショートピース」である。数あるタバコの中でも特に甘みのある味わいを持ち、芳醇な香りは味わった者の心を虜にして離さない。だがしかし、このショートピースというタバコを味わう為にはそれなりの喫煙技術が必要である。タバコの葉の成分は熱に対してあまり強くない。強く吸い過ぎると火種周辺の空気の流れが速くなり、火種が大きく、そして高温になってしまう、故にこのタバコを吸う時にはスプーン一杯の熱々のスープを恐る恐る口に入れるが如くゆっくりと、弱く吸わなければならない。
 口腔喫煙も心掛けなければならない。口腔粘液からはニコチンが僅かずつしか吸収されないが味や香りを楽しむならば、煙を肺にまで入れる事は愚かな行為であると言える。
 これらの技術を総称してクール・スモーキングと呼称するのだ。
 ジョニーは、暫くショートピースの味を堪能していたのだが・・・。
「どっしゃーい!」
「うぉお⁉︎」
 不意に股間部から押し上げられるような衝撃と浮遊感にそれは遮られる事になった。驚きつつも下を覗くと。
「獲ったどーー!」
「危ねぇな⁉︎後ろから忍び寄っていきなり体を持ち上げんじゃねぇ!灰が落ちるだろーが!」
 身長140cm程度の小柄な少女が立派な大人であるジョニーを軽々と持ち上げていた。少女は、ジョニーを地面に戻すとこう言った。
「びっくりしました?」
「あぁ、びっくりしたよ。・・・しかしフリーナよ、大人をからかうのはよした方がいいぞ?」
 そう言われた少女。ーーーフリーナ・ウォン・クリスタハートーーーは、少し悪戯っぽく笑った後、悪気がありそうに謝った。
 そういえば、前にファルという少女とこの様なやりとりをしたような気もする。
 ファルは今目の前に居る少女よりもさらに小さかったが。
「一体なんだってこんな屋上に来て、あんな事をしたんだ?」
「少し海でも見ようと思ってね、そしたらジョニーが居たから出来心でつい、ネ」
「へぇ、そうかい」
 そして、少しの間はこの場を沈黙が支配した。いつかのファルとのやりとりもこういった潮風の音を共に聞いていたのだったろうか。
 暫くして、フリーナがこのような話を持ち掛けてきた。
「6日前に起こった事件の事は、知っていますか?」
「事件というと・・・あぁ、アレの事、か」





「あの事件・・・数年前にも起こってるんだよなぁ」
「え・・・・・?そうなんですか?」





この事件こそが彼女の、フリーナ・ウォン・クリスタハートという一つの物語の始まりを示すものだと彼女が気付くのは、もう暫く後の事である。